ミラノ本店

39歳で料理人となった

独学の天才、

エツィオ・サンティン

アンティカ・オステリア・デル・ポンテ ミラノ本店のオーナー、エツィオ・サンティンはミラノ生まれのミラノ育ちで、生粋のミラネーゼです。彼はかつて、ミラノ市内に食品やワイン類を商うガストロノミア=食料品店を営み、繁昌していました。そのころに各地の名店を食べ歩いて磨いたしたと、自宅に友人たちを招き振舞っては好評を博する手料理の腕をベースに、1976年、カッシネッタ・ディ・ルガニャーノ村の橋のたもとに立つ旅籠を買い取り改修し、念願の店を開きました。その時既に39歳。料理人としては異例の遅い出発でしたが、天才はそれから花開いたのです。当初サンティンは古典的なロンバルディア料理をベースとしていましたが、それのみに満足することなく、探求熱心が嵩じてフランスにわたり、フランス料理のプレゼンテーションを学び取りました。かくしてエツィオ・サンティンは、イタリア各地の旬の食材を用い地方料理の伝統を根底に置きながらも独創性に富む、繊細にして上品かつ優美な『アンティカ・オステリア・デル・ポンテ』の料理を誕生させたのです。

サンティン氏

ミラノ店

美しき

運河の村に立つ

ミラノ店

ミラノから西へ約25km、ロンバルディアの美しい田園風景に心なごませながらクルマを走らせると、小一時間ほどでカッシネッタ・ディ・ルガニャーノ村に着く。たゆたう流れに架かる橋のたもとに『アンティカ・オステリア・デル・ポンテ』は立つ・傍らの川はロンバルディアの西のミラノを結ぶため、1177年に掘られたナヴィリオ・グランデ運河だ。アルプスの水を集めたマッジョーレ湖から発するティチーノ川の流れを引き入れてつくられた。ミラノの大聖堂を建てる大理石は、レオナルド・ダ・ヴィンチ考案の輸送法でこの運河を運ばれ、また連絡船ボッファローラが乗客や商品を載せ、ほぼ半日がかりでミラノとの間を往来した。
当時、運河沿いには土地の産物を郷土色豊かに料理した美味を住人や旅人たちに供する店がたくさん点在していた。その伝統の灯が、ミラノから来た天才料理人エツィオ・サンティンによって再び点じられらのは1976年12月のことであった。

画像1
画像2

※写真は1990年にミシュラン三ツ星を獲得した当時のものです。

『アンティカ・オステリア・デル・ポンテ』は日本語にすると“橋のたもとに立つ古い旅籠”。1600年代にこのオステリア=旅籠は姿を現し、水上交通の要路を足繁く行き交う旅人や商人たちで賑わいました。その旅籠の雰囲気を見事なまでに活かし、エツィオ・サンティンが収集した調度品や、彼の妻、レナータが演出する美しく清潔で快適なサービスとインテリアが、温かいおもてなしと美味をより一層引き立てています。

画像2

地下に設けられたカンティーナ(酒庫)には、ロマネ・コンティ、シャトー・ラフィット・ロートシルト、ペトリュス、シャトーディケムといったフランスの銘醸ワインはもとより、バルバレスコ、バローロ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、ソライアなどイタリア各地の名酒が、お客様のお求めに応じて深い眠りから目覚めるのを待っています。

39歳で料理人となった

独学の天才、

エツィオ・サンティン

サンティン氏

アンティカ・オステリア・デル・ポンテ ミラノ本店のオーナー、エツィオ・サンティンはミラノ生まれのミラノ育ちで、生粋のミラネーゼです。彼はかつて、ミラノ市内に食品やワイン類を商うガストロノミア=食料品店を営み、繁昌していました。そのころに各地の名店を食べ歩いて磨いたしたと、自宅に友人たちを招き振舞っては好評を博する手料理の腕をベースに、1976年、カッシネッタ・ディ・ルガニャーノ村の橋のたもとに立つ旅籠を買い取り改修し、念願の店を開きました。その時既に39歳。料理人としては異例の遅い出発でしたが、天才はそれから花開いたのです。当初サンティンは古典的なロンバルディア料理をベースとしていましたが、それのみに満足することなく、探求熱心が嵩じてフランスにわたり、フランス料理のプレゼンテーションを学び取りました。かくしてエツィオ・サンティンは、イタリア各地の旬の食材を用い地方料理の伝統を根底に置きながらも独創性に富む、繊細にして上品かつ優美な『アンティカ・オステリア・デル・ポンテ』の料理を誕生させたのです。

ミラノ店

美しき

運河の村に立つ

ミラノ店

ミラノから西へ約25km、ロンバルディアの美しい田園風景に心なごませながらクルマを走らせると、小一時間ほどでカッシネッタ・ディ・ルガニャーノ村に着く。たゆたう流れに架かる橋のたもとに『アンティカ・オステリア・デル・ポンテ』は立つ・傍らの川はロンバルディアの西のミラノを結ぶため、1177年に掘られたナヴィリオ・グランデ運河だ。アルプスの水を集めたマッジョーレ湖から発するティチーノ川の流れを引き入れてつくられた。ミラノの大聖堂を建てる大理石は、レオナルド・ダ・ヴィンチ考案の輸送法でこの運河を運ばれ、また連絡船ボッファローラが乗客や商品を載せ、ほぼ半日がかりでミラノとの間を往来した。
当時、運河沿いには土地の産物を郷土色豊かに料理した美味を住人や旅人たちに供する店がたくさん点在していた。その伝統の灯が、ミラノから来た天才料理人エツィオ・サンティンによって再び点じられらのは1976年12月のことであった。

画像1
※写真は1990年にミシュラン三ツ星を獲得した当時のものです。

『アンティカ・オステリア・デル・ポンテ』は日本語にすると“橋のたもとに立つ古い旅籠”。1600年代にこのオステリア=旅籠は姿を現し、水上交通の要路を足繁く行き交う旅人や商人たちで賑わいました。その旅籠の雰囲気を見事なまでに活かし、エツィオ・サンティンが収集した調度品や、彼の妻、レナータが演出する美しく清潔で快適なサービスとインテリアが、温かいおもてなしと美味をより一層引き立てています。

画像2

地下に設けられたカンティーナ(酒庫)には、ロマネ・コンティ、シャトー・ラフィット・ロートシルト、ペトリュス、シャトーディケムといったフランスの銘醸ワインはもとより、バルバレスコ、バローロ、ブルネッロ・ディ・モンタルチーノ、ソライアなどイタリア各地の名酒が、お客様のお求めに応じて深い眠りから目覚めるのを待っています。